札幌地方裁判所 平成9年(ワ)2544号 判決 1999年10月05日
原告
株式会社キャスト
(変更前の商号株式会社富世)
右代表者代表取締役
岡崎文紀
右訴訟代理人弁護士
岩本勝彦
同
石川和弘
被告
第一生命保険相互会社
右代表者代表取締役
森田富治郎
右訴訟代理人弁護士
山辺道宣
同
矢作健太郎
同
内田智
同
和田一雄
同
中尾正浩
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用な原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告は、原告に対し、八〇〇万円及びこれに対する平成九年一二月一二日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、原告が、被告との間で平成六年一〇月一日に締結した団体生命保険契約に基づき、被保険者である甲野二郎が平成九年五月一六日死亡したことを理由として、被告に対し、普通死亡保険金及び災害保険金合計八〇〇万円並びにこれに対する平成九年一二月一二日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
一 前提となる事実(当事者間に争いのない事実は証拠を掲記しない。)
1 原告は自動車部品の製作、加工の請負等を目的とする会社であり(甲四の1ないし11、一八)、被告は生命保険事業を目的とする会社である。
原告は、平成四年一月二八日、商号を株式会社帝豊として設立され、平成五年六月一日、商号を株式会社富世に変更し、さらに、平成一〇年九月一日、現商号に変更したものであり(以下において、平成五年六月一日以降現商号に変更されるまでの間の原告を「富世」という場合がある。)、平成九年五月一六日当時、甲野二郎(以下「二郎」という。)がその代表取締役として、二郎の実兄甲野一郎(以下「一郎」という。)がその取締役としてそれぞれ登記されていた(甲四の1ないし11、一八)。
2 原告は、平成六年一〇月一日、被告との間で次の団体生命保険契約を締結し、同契約は、平成九年五月一六日まで、一年ごとに更新されていた(以下平成八年七月一日に更新された同契約を「本件契約」という。)。
(一) 保険証券番号
第××××××―○○○―△号
(二) 保険の種類 団体定期保険
(三) 被保険者 契約当時の原告の役員及び従業員である二郎外三四名
(四) 保険金受取人 原告
(五) 死亡保険金
(1) 団体定期保険契約に基づく普通死亡保険金 一人あたり四〇〇万円
(2) 主契約に付加された災害保障特約に基づく災害保険金 四〇〇万円
(六) 期間 一年
3 特約(以下「本件各免責約款」という。)
(1) 右2(五)(1)の普通死亡保険金については、団体定期保険普通保険約款が適用され、同約款には、死亡保険金受取人の故意によって死亡保険金の支払事由が生じた場合、被告は死亡保険金を支払わない旨の規定がある(二三条二号本文。乙一の1)。
(2) 右2(五)(2)の災害保険金については、団体定期保険災害保障特約が適用され、同特約には、災害保険金の受取人又は保険契約者の故意による他殺等の不慮の事故による傷害を直接の原因として、その事故の日から一八〇日以内に被保険者が死亡した場合には、被告は右災害保険金を支払わない旨の規定がある(同特約一四条一項一号、二号、五条一項一号、別表1の18。乙一の2)。
4 二郎は、平成九年五月一六日午後八時ころ、名古屋市中区栄<番地略>所在の五六七ビル北側路上付近及び同区栄<番地略>所在の第一オーシャンビル一階通路付近において、一郎及び乙山三郎と共謀した丙川四郎により、回転弾倉式短銃で狙撃され、よって、同日午後八時四六分ころ、同区三の丸<番地略>所在の国立名古屋病院において、左背面貫通射創による左肺損傷等に基づく出血性ショックにより死亡した。
5 原告は、平成九年六月一〇日、本件契約に基づき保険金請求を行った(以下「本件保険金請求」という。)ところ、被告は、平成九年八月一九日付け書面をもって、本件は本件各免責約款で免責事由として定められている「保険契約者又は死亡保険金受取人の故意による死亡」に該当するとして、保険金の支払を拒絶した(甲二)。
二 主たる争点
本訴の主たる争点は、二郎の死亡が「保険契約者又は死亡保険金受取人の故意による死亡」に該当するか否かである。
1 被告の主張
本件は、保険契約者が故意に被保険者を死に致したとき(商法六八〇条一項三号、六八三条一項、六六四条、前記団体定期保険災害保障特約一四条一項二号本文)及び保険金受取人が故意に被保険者を死に致したとき(商法六八〇条一項二号、六八三条一項、六六四条、前記団体定期保険普通保険約款二三条二号本文、右災害保障特約一四条一項一号)にそれぞれ該当するから、被告は免責される。
(一) 商法六八〇条一項二号本文において、保険金額を受け取るべき者が故意にて被保険者を死に致したるとき、保険者は保険金を支払う責を負わないと規定された理由は、被保険者を殺害した者が保険金を入手することは、公益上好ましくないし、信義誠実の原則にも反し、保険の特性である保険事故の偶然性の要求にも合わないところにあり、右のような場合を保障範囲から除外することが保険契約関係者間の衡平に適い合理的であるからである。また、保険金取得目的は、本免責事由の要件ではない。
(二) 法人を保険金受取人とする生命保険契約において、法人の機関構成員(法律形式上は保険契約者、被保険者、受取人でない者)が被保険者を殺害したときには、当該行為を法人による故殺と評価し得る場合に、本免責事由に該当すると解される(大審院昭和一八年六月九日第二刑事部判決参照。ただし、損害保険に関するものである。)。そして、当該行為を法人による故殺と評価し得るか否かを判断する上では、生命保険の場合は、行為者が、保険の利益たる保険金の請求、受領、管理又は処分の何らかの権限を有し、又はこれに影響を与え得る立場にあったか否か、若しくはかかる立場に立ち得る者であったか否かという故殺者(行為主体)に関する客観的側面と、故殺者の殺害の動機、目的という主観的側面とを総合的に考慮することが重要である。
(三) 本件で、一郎が乙山三郎及び丙川四郎と共謀し、右丙川をして二郎を殺害させた行為は、以下のとおり、法人である原告が被保険者である二郎を故殺したと評価し得る。
(1) 本件は、次のとおり、原告の実質上の経営者である一郎が、二郎に違法に奪われそうになった原告の経営権を奪回し、維持しようとして企んだ事案である。
ア 一郎は、昭和六〇年ころ、名古屋市において、人材派遣業を目的とする帝豊産業株式会社(以下「帝豊産業」という。)を設立し、全国的規模で事業を展開したが、平成五年に同社が倒産したため、事実上同社の静岡県以北の事業を引き継ぐための会社として、札幌市に原告を設立し、事業を継続した。なお、株式会社富世の商号は、一郎の娘△△の名からとったものである。
イ 一郎は、原告の発行済株式総数一〇〇株(資本金一〇〇〇万円)全部を実質上保有する一〇〇パーセント株主であり、原告の経営を専行していた。平成五年六月一日付けで後藤進が原告の代表取締役に就任しているが、右後藤は実質上は従業員(一郎の運転手)にすぎず、原告の実質上の経営者は、依然として一郎であった。
ウ 被保険者の二郎は、名古屋の元暴力団○○会××組△△組の組長であったが、平成三年に同会を破門され、一郎の援助により札幌に逃げ、その後、当時罹患していた病気の療養等のため、約二年間札幌で過したが、この間、一郎の配慮で帝豊産業札幌営業所の従業員として処遇され、給料名下に金員を得て生活していた。二郎は、原告が設立された後の平成六年二月、一郎の配慮により、原告の取締役として処遇され、その旨の登記がされた。
エ 平成六年に入ると、一郎は持病の肝臓病が悪化し、後藤進も健康を害するに至ったが、他方、二郎は健康を回復するようになっていた。そこで、一郎は、平成六年一〇月二〇日付けで右後藤を原告の代表取締役から辞任させる一方、二郎を同日付けでその代表取締役に就任させ、原告の経営を委ね、自らは愛知県刈谷市に設けた自宅で生活を送っていた。
しかし、一郎は、その後も、時折札幌を訪れて原告本社に顔を出し、二郎以下の役職員に指示を与えたり、資金面の面倒をみたりするなどして、原告の一〇〇パーセント株主兼支配者(いわゆるオーナー)として行動し、架空外注費の計上等によって捻出した簿外資金から支給されるいわゆる裏給与を含めて毎月四〇〇万円ほどの給与を取得していた。
オ ところが、原告の代表取締役としてその経営を任された二郎は、次第に一郎を原告から排除しようと考えるようになり、平成八年八月ころ、当時取締役名誉会長になっていた一郎に対し、「兄貴が取締役名誉会長という立場にいると、会長が二人になるから煩わしい。この際、相談役ということにしてくれないか。毎月の給料は、きちんと払う。」「兄貴の持っている富世の株式の名義を俺の名義に換えてほしい。株式の名義が俺になることによって仕事がやりやすくなる。形だけでもいいから、株を俺に譲渡したことにしてくれ。会社は、全部兄貴のものだから、形だけ俺に譲渡したことにしてくれればいい。」などと申し向けた。一郎は、二郎の言葉を信じて、原告の名誉会長職を辞して相談役に退くことを了承するとともに(法人登記上は、取締役のまま。)、二郎に株式を譲渡する旨の書類に署名捺印した。
ところが、二郎は、右約束に反して、原告の幹部社員に右株式譲渡の書面を示し、あたかも真実一郎から原告の株式の譲渡を受け、一郎が名誉会長職を退任することになったかのように吹聴し、事情を聞知して詰問してきた一郎に対しても、「俺が富世のオーナーだ。兄貴は、会長を退任することも承知したし、株も全部俺に譲渡した。」などと開き直り、原告は自分のものであるから今後は会社に顔を出さないようにと申し向けた。
カ そこで、一郎は、そのころ、札幌弁護士会の相談窓口を訪ね、対応した弁護士に事情を話してその対応策を相談したが、弁護士からは有効な手立てのないことを示唆されたため、二郎に騙されて原告を乗っ取られてしまったことを思い知らされるとともに、今後は原告から受け取っていた前記給与も支払われなくなるものと思い詰め、原告を自分の手に取り戻すためには二郎を殺害するほかはないと決意し、第二の一4のとおり、二郎を殺害するに至った。
キ 一郎は、平成九年五月一八日午後二時ころ、二郎の通夜のために集まった原告の幹部社員及び二郎の妻花子を二郎方二階に集めて原告の新体制を決めるための会合を開き、オーナーとしての専権により、自らが代表取締役会長、岡崎文紀(以下「岡崎」という。)が代表権のない社長、腹心の部下粟田光彦が代表権のない専務取締役にそれぞれ就任すること、二郎の妻花子を顧問とすること等を決定し、同月二九日、役員について、次のとおりの登記をした(なお、岡崎、粟田光彦、二郎の妻花子については、取締役として登記済みである。)。
代表取締役 甲野一郎
取締役 糸川武雄(それまでは従業員である部長)
同 笹谷美広(右同)
同 甲野春子(当時の一郎の妻)
同 甲野夏子(一郎の二番目の妻で、同人との間の娘の名が△△である。)
ク 原告は、二郎を被保険者、原告を保険金受取人とする生命保険契約として、本件の外、アメリカン・ラィフ・インシュアランス・カンパニー(以下「アリコ」という。)を保険者、契約日を平成八年七月一日とする死亡保険金額五〇〇〇万円の終身保険契約を締結していたところ、一郎は、原告の代表取締役に就任するや、二郎に対する貸付金五二〇〇万円の回収及び簿外資金の捻出・保管を目的として、原告名義で、平成九年六月一〇日、生命保険金請求書を作成し、そのころ被告に提出し、さらに、アリコに対しても、同月一一日までに、五〇〇〇万円の保険金を請求する請求書を提出している。
(2) 右(1)の事実関係の下においては、以下のとおり、法人である原告が被保険者である二郎を故殺したと評価することができ、保険契約者による被保険者の故殺及び死亡保険金受取人による被保険者の故殺という各免責事由に該当する事実があるというべきである。
ア 一郎は、以下のとおり、二郎殺害行為の前後を通じ、終始一〇〇パーセントの株式を有する株主として、原告を経営支配する実質経営者であった。
① 一郎は、殺害行為実行時、単に取締役として登記されていたのみで、代表取締役として登記されていなかったとはいえ、原告の創業者であり、一〇〇パーセントの株式を有する株主であって、個人企業の企業主ともいうべき立場にあり、会社経営の一切を取り仕切り支配していた。原告では、社長、専務等の取締役として登記されていた者であっても何ら裁量権を与えられておらず、その実質は単なる従業員にすぎなかった。
② 二郎は、原告にかかわりをもつようになった平成五年ないし六年ころは、一郎の実弟ということで取締役に登記されるなどしたが、平成六年一〇月代表取締役に就任登記されるまでは、その実質は単なる従業員又は居候のようなもので、株主でもなかった。
二郎は、平成六年一〇月以降、代表取締役として登記され、一郎から原告の経営を任されるようになったが、いわゆる「雇われ代表者」であり、一郎の意向一つでいつでも他の者と交替させられ得る立場にあった。
③ 一郎は、平成八年八月ころ、二郎の策謀と謀反により、原告に対する支配権の行使を事実上著しく制限されることとなったが、自己の株主たる地位を実際に譲渡したものではなく、また、真実実質上の経営者たる地位から退いたものではなかった。二郎の態度及び措置は全く正当性を欠く違法なものであり、一郎の支配権は、的確な手順と方法で法的手続を採れば、早晩是正回復されるはずのものであった。
一郎は、二郎を殺害するという方法で是正回復を図り、約九か月後という比較的短期間のうちにこれを実現しているのであり、この間、法的には実質上の経営者たるべき地位を喪失していないというべきである。
④ 一郎は、二郎殺害後、直ちに自己の専権で自ら代表取締役に就任してその旨登記し、原告の経営支配権を名実とも一〇〇パーセント手中に回復している。
イ 二郎殺害の目的は、一郎において、二郎を取り除き、原告の経営支配を回復、維持、継続することにあったものであるから、単にプライベートな理由で殺害した事案とは異なり、会社経営上の必要性に基づくものであると言い得る。
ウ 故殺者である一郎は、保険金の請求、受領、支払われた保険金の処分に関して、完全なる権限を有しており、現に、これを行使し、保険金を自己において利得しようとしていた。
(四) 原告は、被保険者の死亡よりも後に生じた事情も免責事由の有無の判断材料として考慮されるべきであると主張するが、保険金請求権は保険事故の発生と同時に具体化する金銭債権であるから、免責事由の存否は保険事故発生の時点を基準として判断されなければならない。したがって、免責事由がある場合には右債権が金銭債権として具体化することはないのであって、理論的にも、免責事由があるために具体化しなかった保険金請求権が、その後に保険契約者又は保険金受取人である会社の資本関係を変更することによって具体化することになると解するのは妥当ではない。
2 原告の主張
(一) 法人は殺人のような不法行為を目的とするものではなく、会社の取締役の役職にある者が犯罪を犯したとしても、それは会社の行為と見ることはできないのが大原則である。犯罪に加担した当事者がすべて会社の取締役であったというような例外的事由がある場合は、会社の行為と認定されることがあるにすぎないというべきである。これを本件についてみるに、以下のとおり右例外的事由が存在するとは認められない。
(1) 一郎は、二郎殺害当時、原告の単なる非常勤取締役にすぎず、実質的には原告の経営に参加していない。一郎は、持病の肝臓病が悪化し、自ら経営に当たることができる状態ではなかったため、二郎が代表取締役に就任したのであって、対外的、実質的に経営を行っていたのは二郎である。
仮に、原告が一郎の個人会社であり、一郎が原告の実権を握っているのなら代表取締役であった二郎を殺害するという非合法な手段を用いる必要はなく、その実権に基づき容易に地位を回復することができたはずである。実際は、一郎は、二郎が平成六年一〇年二〇日に原告の代表取締役に就任して以降は非常勤取締役となり、原告本社の所在する札幌には在住せず、愛知県刈谷市で生活するようになり、時折札幌の原告本社に顔を出すだけの関与となったのであり、原告の経営に関し実質的な指図、指示を与えることのできる状況ではなかった。
なお、一郎は、原告に運転資金を融通し、金員を貸し付けていたが、一方で原告から貸付金を超える多額の報酬を受け取っていた。しかも、出資した金員は既に償還済みである。この資金提供をもって、一郎が原告の実権を握り続けていると評価することはできない。
(2) 一郎は、当初、原告の株主であったが、一〇〇パーセント全部を所有していたのではなく、平成六年一月ころ、二郎に対しその所有株式全部を代金四〇〇〇万円で譲渡しており、二郎殺害時には原告の株主ではなくなっていた。
(3) 一郎が二郎を殺害した動機は、保険金を騙し取るところにあったものではなく、原告の業績が好調であったことから二郎を排除して原告の乗っ取りを企んだところにあったものである。一郎はそもそも本件契約が締結されていることを知らなかった。
すなわち、一郎は、二郎が原告の代表取締役に就任して以降、愛知県刈谷市に在住し、時折札幌の原告本社に顔を出すという形態で関与していたにすぎず、右当時には既に原告の株主でもなかったのであるから、本件契約締結時(平成八年七月一日)及び二郎殺害時(平成九年五月一六日)に、原告の内情を詳細に理解していたということはあり得ず、また、本件契約は原告の業務そのものではなく、しかも、いわば一郎と対立関係にあった二郎が、全く一郎の関与なしに原告の代表取締役として行ったものであるから、一郎が本件契約の締結の事実及びその存在を知っていたということも到底あり得ない。したがって、一郎が、二郎殺害行為時から保険金請求の意図を有していたとは認めることができない。
(4) 一郎による二郎の殺害行為は、原告にとっての自力救済行為ではなく、一郎個人の利益を図るだけの個人的行為にほかならない。このことは、二郎の殺害後、原告の代表取締役に就任した一郎が、原告の利益を全く無視し、原告に当時の一郎の妻である甲野春子名義の札幌のマンションを賃借させたり、仮払金一〇〇〇万円を支払わせたりするなどの浪費をしていることからも明らかである。
(5) 一郎は、原告とは全く関係のない丙川四郎及び乙山三郎と共謀し二郎の殺害を実行したものであり、会社の他の役員には二郎殺害行為を隠し続けており、原告の他の取締役らは何ら関与していない。したがって、一郎は、原告の取締役としての立場とは全く関係のない個人的立場で二郎殺害行為を行ったものというべきである。
(6) 以上の事実にかんがみれば、一郎が原告の取締役であったとしても、そのことをもって一郎の行動がすべて会社の機関の行動と見ることができないことはいうまでもなく、本件保険金請求について被告に免責事由があるということはできない。
(二) 仮に、二郎の殺害時において一郎が原告の株式を一〇〇パーセント有するオーナーであったとしても、現時点において一郎は株主でも役員でもなく、原告との間には何ら関係がないから、原告が保険金を受領することが公序良俗や信義則に反することはなく、これを一郎が保険金を受領することと同視することはできない。したがって、本件の場合に免責事由は存在しない。
第三 判断
一 本件事実経過
前掲の前提となる事実及び証拠(甲三ないし六、八、一〇ないし一七、三二、乙二ないし一一、一三、一七ないし六六(枝番を含む)、原告代表者)によれば、以下の事実が認められる。
1 一郎は、元暴力団H家一家□□会△△組組長であったが、後に□□会を離脱して、昭和六〇年ころ、名古屋市において、人材派遣業を目的とする帝豊産業を設立し、平成五年、帝豊産業が事実上倒産すると、一郎が札幌市に設立した原告に帝豊産業札幌営業所の事業を引き継がせ、さらに、同社三島営業所及び東北営業所等の営業権も買い取らせた。原告の定款によれば、設立当初の発行済株式総数一〇〇株(資本金一〇〇〇万円)のうち、五五株が一郎名義、その他の株式については杉田公利、石塚正司、石塚智恵子、岡崎、古西榮子の各名義となっていたものの、その出資金はすべて一郎が提供しており、右杉田らは単なる名義上の株主にすぎなかった。また、原告の代表取締役は、当初は帝豊産業札幌営業所長であった石塚正司であったが、その後石塚が病で倒れたため、平成五年六月一日付けで後藤進が就任した。後藤は、一郎の運転手で、実質は単なる従業員にすぎず、原告の実質的な経営権は一郎が有しており、一郎は、接待費という名目で私的な遊興費を原告に負担させていた。
2 二郎は、一郎の実弟で、元暴力団○○会××組△△組の組長であったが、平成三年に同会を破門され、一郎の援助により札幌に逃げ、その後、当時罹患していた病気の療養等のため、約二年間を札幌で過ごしたが、この間、一郎の配慮で帝豊産業札幌営業所の従業員として処遇され、給料名下に金員を得て生活していた。二郎は、平成六年二月一日、一郎の配慮により原告の取締役として登記された。
一郎は、平成六年以降、持病の肝臓病が悪化し、後藤進も健康を害するに至る一方、二郎は健康を回復するようになっていたため、一郎は、同年一〇月二〇日付けで二郎を代表取締役に就任させて原告の経営を委ね、その後は愛知県刈谷市の自宅で生活を送るようになり、時折札幌市に来て原告本社に顔を出すだけになった。
しかし、一郎は、その後も、原告の経営に関して二郎以下の役職員に指示を与えたり、資金面の面倒をみたりするとともに、引き続き架空外注費の計上等によって捻出した簿外資金から支給されるいわゆる裏給与を含めて多額の給与を得、また、原告が所有する乗用車(トヨタ・セルシオ)を使用して、そのガソリン代、税金、保険料、車検代等の諸経費を原告に負担させ、さらに、一郎の元妻であった甲野春子及び当時の妻であった甲野夏子に対し、実際に働いていないにもかかわらず給料名下に原告からそれぞれ毎月三〇万円の振込みをさせていた。
3 二郎は、原告の代表取締役として会社の経営に当たるようになった後、当初は一郎の助言や経営指導に対し素直に従っていたが、次第にこれを疎ましく思うようになり、遂には一郎を原告から排除しようと考え、平成八年八月ころ、当時取締役名誉会長の地位にあった一郎に対し、「兄貴が取締役名誉会長という立場にいると、会長が二人になるから煩わしい。この際、相談役ということにしてくれないか。毎月の給料は、きちんと払う。」「兄貴の持っている富世の株式の名義を俺の名義に換えてほしい。株の名義が俺になることによって仕事がやりやすくなる。形だけでもいいから、株を俺に譲渡したことにしてくれ。会社は、全部兄貴のものだから、形だけ俺に譲渡したことにしてくれればいい。」などと申し向けた。そのため、一郎は、二郎の言葉を信じ、原告の名誉会長職を辞して相談役に退くことを了解するとともに(ただし、商業登記簿上は、取締役のままである。)、二郎に株式を譲渡する旨の書類に署名押印した。
ところが、二郎は、一郎から右書類を受領した後はその態度を豹変させ、岡崎ほか原告の幹部社員に対し、右株式譲渡の書面を示し、自分は一郎から原告の株式の譲渡を受けて原告のオーナーとなり、一郎が名誉会長職を退任することになったと吹聴するとともに、一郎が会社に来ても余計なことを言うななどと命じた。そして、事情を聞知した一郎が問い詰めたところ、二郎は、「俺が富世のオーナーだ。兄貴は、会長を退任することも承知したし、株も全部俺に譲渡した。」などと開き直り、さらには、原告は自分のものであるから今後は会社に顔を出さないようにとさえ申し向けた。
そこで、一郎は、札幌弁護士会の相談窓口を訪ね、応対した弁護士に事情を話してその対応策を相談したが、右弁護士から有効な手立てのないことを示唆され、二郎に騙されて原告を乗っ取られてしまったことを思い知らされるとともに、今後は原告から受け取っていた前記給与等の金員も支払われなくなるものと思い詰め、原告を自分の手に取り戻すためには二郎を殺害するほかはない考えた。
こうして、二郎は、一郎に代って原告の実質的な経営者として振る舞うようになった。もっとも、一郎は、相談役の肩書を有する原告の取締役たる地位を有し、二郎を除けば、なお原告において最も影響力を有し得る人物であり、原告から引き続き給料を支給され、会社所有の乗用車の使用等の恩恵を受けていた(なお、原告は、一郎は二郎に対し、平成六年一月ころ、一郎の保有する株式全部を代金四〇〇〇万円で譲渡した旨主張し、これに沿う証拠(甲二〇、二一、三〇、三二、原告代表者)もあるが、これに反する乙一八、二一、三一、六六と対比するとた易く採用することができず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。)。
4 二郎は、一郎を原告から排除することに成功した後にも、時折、一郎の力がなければ原告が立ち行かないなどと言ったり、一郎に功労賞を贈るなどして一郎の機嫌を取る素振りを示していた。一郎は、内心これに反発しつつも、原告が愛知県豊田市に事業進出をすることについて協力するなどして、原告の事業にそれなりの関与をしていたが、結局、二郎の仕打ちを許すことができず、原告の実権を奪還するため、一郎が元組長をしていた□□会△△組の元構成員である乙山三郎及び同元構成員でありかつ帝豊産業の元従業員である丙川四郎と共謀し、平成九年五月一六日、第二の一4のとおり、二郎を殺害するに至った。
一郎は、同年五月一八日午後二時ころ、二郎の通夜のために集まった原告幹部社員及び二郎の妻である甲野花子(以下「花子」という。)を二郎方二階に集めて原告の新体制を決めるための会合を開いた。席上、次期代表者を誰にするかについて、当初花子や岡崎らの名前が挙がり、一郎の名は挙がらなかったにもかかわらず、一郎は、出席者の意向にかまわず、その専断により、自らが会社の代表権を有する代表取締役会長に就任することとしたため、花子らは正面切ってこれに反対することもできず、さらに、一郎は、岡崎を代表権のない社長、腹心の部下粟田光彦を代表権のない専務取締役にそれぞれ選任すること、二郎の妻花子を顧問とすること等を決定し、出席者一同もこれに異論を唱えなかった。こうして、原告は、同月二九日、代表取締役甲野一郎、取締役糸川武雄(それまでは従業員である部長であった。)、同笹谷美広(右同)、同甲野春子、同甲野夏子の各選任登記をした(なお、岡崎、粟田光彦、二郎の妻花子については、取締役として登記済みであった。)。
5 一郎は、原告の代表者に就任した後、平成九年五月から六月にかけてクラブ、飲食店で原告の業務とは無関係に使った遊興費一八〇万円を原告に支払わせたり、原告に自分用の社宅として札幌市中央区の高級マンションを用意させ、その家賃等月額一三万八四〇〇円を負担させたり、平成九年四月三〇日付けで、愛知県知立市にある自己所有の建物を、実際には使用していないにもかかわらず、社宅という名目で原告に借り上げさせ、原告から敷金として五〇〇万円、賃料として月額六五万円を支払わせたり、同様にそのころ、当時の妻である甲野春子名義のマンションの一室を原告の社宅として原告に賃借させ、月額一三万円の賃料を右春子の口座に振り込ませたり、当時花子が使用していた会社所有の乗用車(ベンツ)を取り上げて私的に使用し、これにかかるガソリン代、車検代、税金、保険料等も原告に負担させたり、実際に相応の業務を行っていないにもかかわらず、独断で、自己の同年五月分以降の給料を手取り額四〇〇万円、甲野夏子、甲野春子の給料を各手取り額一〇〇万円と決めてその支払をさせたり、さらには、同年五月末ころ、花子への仮払いという名目で原告から一〇〇〇万円の支払をさせたりした。
加えて、一郎は、岡崎から本件契約等の保険金の話を聞き、二郎に対して貸し付けたという五二〇〇万円の回収や簿外資金の捻出・保管を目的として、一億円の裏金を捻出することとし、その一部に充てるため、原告名義で前記第二の一5のとおりの本件保険金請求を行った。
6 一郎は、平成九年六月三〇日、二郎に対する殺人等の容疑で愛知県警察本部に逮捕されたため、原告は、同日ころ、岡崎を代表取締役社長、花子を代表取締役会長に選任し、同年七月八日、右岡崎と花子を代表取締役とする旨の登記をした。一郎と花子は、同年一二月一五日、一郎が原告の株式について一切の権利を主張しない旨の和解をし、これによって一郎は原告の株主としての地位を確定的に失った。
二 前記のとおり、本件契約の保険契約者及び保険金受取人は原告であり、本件の保険事故である被保険者二郎の殺害は一郎が行ったものである。そこで、このような保険事故が本件各免責条項に該当する場合に当たると解すべきかどうかについて検討する。
商法六八〇条一項は「保険金額ヲ受取ルヘキ者カ故意ニテ被保険者ヲ死ニ致シタルトキ」(二号)又は「保険契約者カ故意ニテ被保険者ヲ死ニ致シタルトキ」(三号)には「保険者ハ保険金額ヲ支払フ責ニ任セス」と規定しているところ、その文言に照らすと、本件各免責条項と同趣旨の規定と解することができる。そして、右規定(いわゆる保険事故招致免責規定)の趣旨は、保険契約上、保険金受取人とされている者が被保険者を殺害した場合に、その死亡を原因として保険金を受け取るという経済的利得にあずかることができるとか、あるいはまた、保険契約者が被保険者を殺害した場合に、なお保険者がその死亡を原因とする保険金請求を拒絶することができないとすることは、公益上好ましくないし、契約法を支配する信義誠実の原則にも反すること等にあると解することができる(最高裁第三小法廷昭和四二年一月三一日判決・民集二一巻一号七七頁参照)。また、これを保険契約の解釈そのものの観点から見ても、保険契約当事者間の衡平の見地に立脚して、すなわち、保険金受取人又は保険契約者の故意による保険事故招致は著しく高度な危険であるため、保険者は、通常このような異常な危険を引き受ける意思を有しないから、このような主観的に危険な事実を除外して保険を引き受けたと解するのが当事者間の衡平に適すると説明することもできるものと思われる。
本件各免責条項の趣旨を右のように解する限りは、そのいずれの見地に立っても、本件各免責条項で除外している事由は、単に、保険金受取人又は保険契約者そのものが故意によって保険事故を招致した場合のみに限定されていると解することは相当ではなく、むしろ、右のような公益上、信義則上の見地、あるいは、契約当事者間の衡平の見地から、保険金受取人又は保険契約者が故意により保険事故を招致したときと同視し得ると評価することができるような場合をも当然に包含しているものと解するのが相当である。特に、本件のように保険契約者兼保険金受取人が法人である場合には、その契約解釈上も、法人を実質的に支配し、あるいは、保険金の受領による利得を直接享受する者が故意によって保険事故を招致した場合には、代表権限を有する者がした場合とは別に、その法人による保険事故招致と評価することができるものというべきであって、原告が主張するようにこれを制限的に解すべきものではない。なお、保険事故発生当時における保険事故招致者の保険金取得の目的の有無、あるいは、保険契約の存在についての知不知により、本件各免責条項の適用の有無が左右されるべきものではないことは、その条項の前記のような趣旨に照らし、当然のことというべきである。
三 そこで、右の見地から、本件についてみると、前記認定事実から認められる原告と一郎との以下に指摘する密接な関係に照らすと、一郎による二郎の殺害は、これをもって法人である原告による保険事故招致と評価することができると解するのが相当である。
1 まず、一郎は、原告の資本金金額を出資し、永らくその実権を掌握して経営方針や人事を専断してきた。そして、一郎が二郎を代表取締役とし、その経営を二郎に委ねた後にも、二郎に出し抜かれた平成八年八月までは二郎の要請により原告の経営に必要な資金を提供したりする一方、終始原告からは多額の給与を得るなどの利得にあずかっていた。
2 また、一郎は、平成八年八月に二郎に出し抜かれた後には、二郎が一郎の影響力を排除しようと画策したこともあって、もはや原告を支配することができない状況に陥ったが、なお原告の取締役の地位を有し、二郎も時には一郎の機嫌を取ったりその力を頼りにしたりしたこともあって、二郎を除けばなお原告における影響力を持ち得る地位を保持していた。一郎が二郎を殺害したのも、それによって原告を再び支配しようとしたためであり、二郎を殺害しさえすれば一郎が再び原告を支配することができると考えていたからにはほかならない。現に、二郎の死後直ちに開かれた関係者の協議においては、原告の役員選任に関する一郎の意見に反対することのできる者は、二郎の妻を含めて誰もいなく、以後、一郎は以前にもまして原告を私物化していったことに照らしても、二郎を殺害すれば原告を再び支配することができるとの一郎の考えが正しかったことを物語っている。こうして、二郎の死亡と同時に、一郎は、平成八年八月以前のような原告を支配する地位を回復するに至ったと評価することができる。
3 このように、一郎による二郎の殺害という保険事故は、その発生と同時に一郎が再び原告を支配することができるようになるという関係にあったものである。ところで、本件各免責条項の前記のような趣旨に照らせば、右条項の解釈上、本件の保険事故の前後を通じて会社を実質的に支配する者と、本件の保険事故によって直ちに会社を実質的に支配することができるようになる者との取り扱いを異にすべき合理的理由は見出すことができない。したがって、殺害の着手の時点でこそ一郎は原告を支配していたとはいえなかった(だからこそ殺害をした。)とはいえ、殺害に伴って原告を再び支配し得るようになり、保険事故発生による利得を直接享受し得る立場に立つという当時の一郎の原告における地位に鑑みれば、二郎の死亡に関する本件各免責条項の解釈上は、本件の保険事故発生の時点において、一郎は原告を実質的に支配していた者と同視し得る地位にあったと評価することができる。また、このように原告を再び支配するようになった一郎が保険金の受領による利得を直接享受する者であることは、自明の理というべきである。
四 原告は、一郎が現在その株主でも役員でもないことを挙げて、その保険金請求が公序良俗にも信義則にも反しないと主張するが、保険金請求権は、保険事故の発生と同時に発生する権利であって、本件各免責条項の適用の有無もその時点を基準に判断すべきものであるから、保険事故発生の時点で、本件各免責条項に該当する場合に当たると判断される以上は、その後の保険契約者ないしは保険金受取人に生じた事由によってその判断に消長を来すべきいわれはない。したがって、原告の右主張は、失当というべきである。
五 以上の認定判断によれば、一郎による二郎の殺害という本件の保険事故は、本件各免責条項に該当する場合に当たると解するのが相当であるから、原告の本件請求は理由がない。
よって、原告の本件請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・佐藤陽一、裁判官・本田晃、裁判官・中里敦)